菊池恵楓園バーチャルガイド
Kikuchikeifuen Virtual Guide
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04.恵楓園分校跡
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■Commentary
ハンセン病療養所の入所者は外の学校に通うことが許されなかったため、所内に学校が建てられていました。
恵楓園では昭和6(1931)年に「檜小学校」が設置されて学齢期の子供達への教育が始まります。その後、学校は昭和9(1934)年に「九療学園」に、昭和16(1941)年には「恵楓学園」へと改称し、それと共に建物も建設、改修が重ねられました。
この時期の学校は法に基づいた正規の教育施設ではなかったため、教員も派遣されることは無く、療養所の職員や教員の職にあった入所者らが教鞭をとっていました。太平洋戦争後、昭和24(1949)年の学校令施行により、これらの学校も「合志村立栄小学校分校」、「合志中学校分校」となり、正規の学校となりました。
恵楓園分校では、昭和51(1976)年の閉校までに168人が卒業し、その多くが社会復帰を果たしていきました。
■ information
住 所
熊本県合志市栄3796
問合せ先
国立療養所菊池恵楓園歴史資料館
電話番号
096-248-1136
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恵楓園では昭和6(1931)年に「檜小学校」が設置されて学齢期の子供達への教育が始まります。その後、学校は昭和9(1934)年に「九療学園」に、昭和16(1941)年には「恵楓学園」へと改称し、それと共に建物も建設、改修が重ねられました。
この時期の学校は法に基づいた正規の教育施設ではなかったため、教員も派遣されることは無く、療養所の職員や教員の職にあった入所者らが教鞭をとっていました。太平洋戦争後、昭和24(1949)年の学校令施行により、これらの学校も「合志村立栄小学校分校」、「合志中学校分校」となり、正規の学校となりました。
恵楓園分校では、昭和51(1976)年の閉校までに168人が卒業し、その多くが社会復帰を果たしていきました。